2014.10.11

自分史

第1回 戦争と誕生

株式会社光英科学研究所の社長の村田でございます。これから月2~3回、ネットをご覧頂いている皆様にメッセージをお届けすることにしました。堅苦しい文面にならないように、気さくに行こうと思っております。どうぞよろしくお願い致します。
上空を飛ぶ戦闘機私を知っていただく為には身の上話から始めるのが礼儀と心得ますので、エピソード的に簡単に紹介させていただきます。私が生まれたのは太平洋戦争勃発の前年の1940年12月です。これから日本は苦難の道を歩み始めようとしている時でした。
政治家だった父は、37歳になる母に私を産むのを反対したそうです。私の上に10歳以上年の離れた姉が二人居たからだと思います。困った母はアメリカに30年住んでいる伯母に手紙を出して相談したら「私が日本に帰ってでも育てるから産め」と言ってきたそうです。その通り、伯母は日米国交断絶の直前に最後となった客船で帰国してきました。そして私が生まれました。
富国強兵の時代、父は男の子が生まれたものですから、手のひらを返したように喜んだそうです。子供のころ、伯母に「貴方がこの世に居るのは私のお陰だからね」とよく言われたものです。
当時の食料事情は日に日に悪くなり、子供心に本当に生まれてきて良かったのか?と思ったのを覚えています。食べられそうな物は何でも食べました。戦地から生還して教員になった先生は理科の時間に「ミミズ」の正しい食べ方を教えてくれました。食べ過ぎは禁物とも注意してくれました。
チョコレートと缶詰しかしアメリカ帰りの伯母は、流暢な英語で駐留軍の兵士からガムとかチョコバーや缶詰を入手して食べさせてくれました。こんなに美味なものがこの世にあったのかと、今でもその味は忘れていません。
このような幼少期を過ごした私が、8歳になった1948年に、乳酸菌生産物質との運命的な出会いがやって参ります。

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