2015.03.21

自分史

第11回 正垣所長の広大な目標

さて、乳酸菌生産物質の歴史について、話を戻しましょう。
直筆の表札

正垣所長は昭和23年に寿光製薬株式会社を設立、今日の乳酸菌生産物質の元祖とも言える製品「スティルヤング」の開発に成功しました。そして昭和24年25年と2回にわたって、国会で「寿命論と有効細菌」と題した講演を行いました。

後に速記録を読みますと、乳酸菌醗酵技術について現在と変わらぬ説明がされています。その当時の国会議員の方々がご理解されたかどうかわかりませんが、文部大臣や厚生大臣から賛辞の文章も頂いています。


その後、昭和26年に社名を義報社と改め、さらなる商品開発が行われました。

その当時、乳酸菌に関する研究開発は途上で、学術的にも大学の研究室に留まっている状況でした。しかし将来的な発展を見込んでか、我々の研究所に月に一度は大企業の技術系の上層部の人たちが見学にみえておりました。

そして商社や大企業との商談になるケースが多々ありました。しかし必ず相手側が自社にて独占する条件を出してきますので、正垣所長は「ポリシーと違う」と断り、最後の契約書の調印の段階でいつも破談になっていました。


当時の研究所は財務的にも厳しい状況下にありましたので、大きな商談が決まればどんなに楽だろうか、と、社員は何度もがっかりさせられました。しかし振り返ってみますと、現在の我々があるのは正垣所長の決断のお陰と、しみじみ感じております。
高層ビル写真
とにかく正垣所長の目標は広大なもので、当時の産業界の発展のペースを超越したところがありました。何しろ私が入社した昭和34年に52階建ての高層ビルを本社とする計画があったのです。その青写真も見ています。大谷光瑞師の命を受け、戦後の日本を世界一の文化国家に導こうという信念が、所長を突き動かしていたのでしょう。

そして製品に対する大転換も当時行われました。

当時の国民は、戦後の復興の中にありましたが、飽食の現在と違って食生活は健康的なものでした。そこで、健康に寄与する「スティルヤング」を、食品の「味」を引き立てる商品に切り替えて「味のちえ」としたのです。

「味のちえ」は、自然の風味を引き立たせる価値観が認められて、料理人の方々の共感を得ることが出来ました。その当時の食品素材は粗削りのものが多かったようですが「味のちえ」を添加することにより、風味を引き出すことができたのです。

しかし、この時代は長く続きませんでした。化学調味料による人工的に作られた味が普及して、「味のちえ」の出番は少なくなってしまいました。そうして、ますます研究所の経営も財務的に苦境を強いられてまいりました。

乳酸菌生産物質の歴史の中で、永年にわたり築き続けられた乳酸菌の発酵技術。その火を消さぬよう必死に守り続けた道のりは、大変な苦難の連続でした。その事をぜひ、次の回でお伝えしたいと思っております。

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