2013.04.19

自分史

第12回 正垣所長の片腕

企業は好調な時ばかりではありません。正垣所長の事業計画が広大なものであったため、財務的にも大きなスケールのやりくりが必要となりました。


当時、多くのお得意様が製品の良さと将来性を見込んで、所長の事業に多額の投資をしてくださいました。しかしなかなか計画通りには参りません。そのうち会社は資金繰りに追われるようになりました。
資金繰りが大変だった頃


しかし、投資していただいたお得意様にご迷惑はかけられません。このときに機動力と実行力を発揮したのが長年正垣所長の片腕として働いた、現在の光英科学の会長でもある金廣シズ子でした。


金廣は関東から関西に至る広域に渡って、日々資金集めに東奔西走しました。しかし状況は一向に好転しません。そのうち一日毎に当時で100万円を超える約束手形の決済に迫られることになりました。

負債の矢面に立った彼女は、度々その方面の怖い人たちからの取り立てにもあい、それは想像を絶する辛さであったと後に本人も回想しています。

ある日のこと、金廣が借金の件で都内の小さな薄暗い喫茶店に呼び出されました。私は研究員をしながら車の運転もしておりましたので、彼女をその場所に送り届け、そのまま彼女が帰って来るのを店の外で待っていました。

30~40分もした頃、真っ青な顔をした金廣が、その方面の怖い人達に両脇を抱えられて店から出てきました。

帰りの車の中で話を聞いたところ、なんでも喫茶店の地下に連れて行かれ、短刀で脅され返済を迫られたとのこと。正気を無くした彼女はもう生きる気力も失せたと思い「どうぞ殺してください」と逆に相手に対して懇願したそうです。

金廣の意外な反応に慌てた相手は、早々に開放してくれたそうですが、彼女はその場で腰が抜けて立って歩くこともできなかったそうで、両脇を抱えられて店の外へ連れ出されたのでした。私はこの話を聞いて、何ともいたたまれない気持ちになりました。
対話
会社に戻ってこの話を聞いた正垣所長は、大粒の涙を流したそうです。

しかし金廣は様々な苦難にあいながらも、この仕事から手を引くことはしませんでした。

厳しい状況の中でも会社には新規の問い合わせが来ており、未来に対して希望が無かったわけではありません。また幼い子供たちを育てている最中でもあった彼女は、この状況から逃げることもままならなかったという実情もあったようです。

そんな金廣の奮闘を子供たちも理解し、幼いながらも母親への手伝いを惜しまず家族がそれぞれを支えあう生活が続きました(縁があって後に、私は金廣の娘である治子と結婚することになりました)。
しかし、残念ながら状況が好転することはありませんでした。そしてこの事業は一度終焉を迎えざるを得なくなります。その話はまた次回、お話しましょう。

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