2013.07.03

身近雑記

第15回 同窓会

皆様も数年に1回くらい、母校の同窓会に出席されているのではないでしょうか?



私は幼い頃、山口県の学校に通っており、その学校の同級生たちの半数が山口から東京に出て来ているため「東京在住者の同窓会」が2~3年に1回行われ、私も必ず出席するようにしております。


私達は、太平洋戦争敗戦直後に小学校に入学しました。山口大学付属小学校・中学校で男女共学、50名2組にて9年間の持ち上がり一貫教育。従って同級生は家族よりも親しく、強い連帯感が育成されました。なにしろ善い事にしろ、悪い事にしろ、徒党を組んで行ったものです。教師は大学からの教授か、陸・海軍士官
小中一貫教育の学校
学校からやってきた先生でした。コワイ先生達との対決も、子供にとっては愉快な出来事。やんちゃ盛りの思い出です。

親しい仲間が集まる同窓会ですが、今年(6月)は男性6名、女性11名でした。残念ながら、最近は加齢のためか出席者が少なくなっていますが、それを寂しがるというよりも、欠席者を酒の肴にして楽しく、会費2500円、アルコール代別持、90分の有楽町のバイキングにて飲食し、子供の頃の出来事を懐かしく思いました。




何しろ昭和16年の開戦から20年の敗戦に至るまで次第に食料事情が悪くなり、小学校に入学した頃は学校の昼休みや、帰りに、何か食べられるものはないか、そればかり考えて歩いたものです。友達のお母さんが小さなジャガイモを茹でて食べさせてくれたのが、今でも忘れられません。栄養失調という言葉は当たり前に聞こえてきました。その頃は、国民全員が食べ物に苦労しており、今でいうダイエット食の生活でした。


ヒトの体においては、食物が小腸にて分解吸収され、大腸に余り物が行って腸内フローラが形成されます。その頃の人間に棲み付いていた腸内細菌は苦労したことでしょう。何しろ発育するための栄養物が、なかなかお腹にやって来ないのですから。現代の飽食の時代と全く逆の状況です。腸内細菌は飢餓状態にて強いチームを作りお腹の中で生き延びたものと思います。
戦時中の食糧
私の生まれる昭和15年までは、第二次世界大戦の開戦前であったため、食料事情はまだ保たれていました。しかしその後、戦争により序々に悪くなりました。

従って、昭和15年前と後では、腸内細菌にとっても分水嶺となっているのだと推測されます。私は腸内細菌が良い環境であるギリギリの所にいたのだと、思わざるを得ません。

そして昭和22年頃になると、戦争が終わりアメリカから食料がどんどん輸入されて来ました。昭和22年以降に生まれた方の腸内細菌は、またもや異なるものとなったのではないでしょうか。

もう一つ特筆すべきことは、山口県は近郊に農家があり、戦争中で食料が無い中でも何とか食べ物にありつくことができました。しかし、東京の人々は大変な食料不足で苦労したそうです。

同窓会で同級生から聞いた話によれば、東京で就職した同年代の友人の中では、東京出身の人のほうが早く亡くなっているとのことでした。東京の食糧事情が悪かったために、充分な免疫機能を持つ腸内フローラを造りえなかったのではないかと、私は思っています。

現在、野菜を中心にした植物性タンパク質の健康食が提唱されています。しかし生まれたときから幼児期までに形成された、ヒトの腸内常在菌と腸内フローラの根本を変えることは難しいのです。昭和15年以後に生まれた方にはバイオジェニックス「乳酸菌生産物質」が健康長寿のためには必要不可欠だと、つくづく思います。

さて今回の同窓会で皆が口にしたのは、「この歳になると、もう余った歳を過ごすだけ。別に今日死んでもかまわないが、健康でありたいものだ」という言葉でした。私も同感です。彼らのお腹の中も、健康な腸内フローラが形成されているに違いありません。

8歳から64年間、乳酸菌生産物質を飲み続けた私も、友人たちと一緒に健康に歳を重ねていきたいと、あらためて心から思った一日でした。

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