2013.11.25

自分史

第19回 大谷光瑞師の墓碑


前回の私考欄にて純正醍醐論なる論説を書きましたが、「醍醐」再現の発案者である大谷光瑞師の墓碑を、乳酸菌生産物質の礎を作っていただいた御恩、そして株式会社光英科学研究所の開祖としてお奉りしておりますことを、ご紹介させていただきます。前置きとして私事になりますが、義兄の話をさせていただきます。

大谷光瑞師の墓碑

以前、義兄が60歳を過ぎて胆石で1ヶ月の入院をしたとき、テレビから耳に入ってきた「知恩」という言葉に心が揺れたそうです。それは受けた恩は石に刻んでも忘れるなという高僧の説法でした。


そして義兄は、30年がかりで集めた浮世絵や中国韓国の古美術(時価200億円)1800点を故郷の山口県萩市へ寄贈することを決めました。ふるさとへの恩返しの気持ちです。


その義兄の行為に山口県知事も感激され、県として寄贈された美術品を展示する美術館の建設が決定されました。そして東京都庁舎も設計した著名な建築事務所が設計図を手掛け、山口県立萩美術館浦上記念館として古都「萩」にふさわしい美術館を完成したのが、平成8年でした。


その後も義兄は寄贈を続け、今では世界でも屈指の浮世絵の美術館となり、名誉館長として月の半分は萩に行っております。80歳を超えましたが、乳酸菌生産物質を飲んで元気に活動しています。
光瑞師の石碑
義兄の行動を見て、私も、受けた恩を忘れずに生きたいと思うようになりました。そう思っていたところ、平成15年、大谷光瑞師の御分骨を御守りしている方から私へ連絡がありました。今は自分が御守りしているが、自分の子孫で継続できそうにないので、光瑞師の流れをくむ光英科学にてお奉りしてくれないか、ということでした。


その方が光瑞師のご分骨を御守りしている経緯を、あらためてお聞きしたところ、その方は、光瑞師が最期の地として別府市の鉄輪(かんなわ)別邸にて療養された6ヶ月間、お傍でずっと光瑞師の身の回りのお世話をされていた方だそうです。


そして光瑞師がご遷化されて(お亡くなりになられて)、遺骨が大谷本廟に帰山される際に、分骨していただいたそうです。その経緯は光瑞師の別邸のあった別府の大谷公園の石碑にも刻まれています。


その方のお話をお聞きして、献身的に御守りなさってきたことに尊敬の念を抱くとともに、こうして乳酸菌生産物質を皆様の健康のために作らせていただけているのも、光瑞師のご発案によるもの、その御恩を私は一日たりとも忘れてはならないと思いました。


そして、私の自宅の近くの築地本願寺別院の墓地に墓碑を建立して、御分骨を安置させていただくことになりました。


石碑には醍醐の梵語を刻み、中国、大連にての大谷光瑞農芸化学研究所の腸内細菌の研究の歴史も書かせていただきました。そして石碑には光瑞師のご尊顔を写真のようにきれいに刻ませていただきました、お墓参りに訪れる方々は、ご尊顔に向かっておだやかに手を合わせていらっしゃいます。


さて先日、東京築地の本願寺にお参りしたとき、現在の築地本願寺の発案・設計は大谷光瑞師であるとの年表を拝見しました。みなさまもご存じのように、築地本願寺の建物は、日本の寺院とは異なった造形になっております。光瑞師の革新的な発想、ご威光が偲ばれます。乳酸菌生産物質の礎を築かれた光瑞師は、未来への視点を常に持っていらっしゃったのではないか、と想像致します。


私は毎週、お墓参りに訪れて、光瑞師の石碑の前で頭を深く下げております。

御恩を忘れずに、これからも歩んでいきたいと思います。

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