2015.02.17
身近雑記
第31回 節分の思い出
節分を過ぎると立春。しかし春とは名ばかりで寒い日が続いております。みなさまにおかれましては、くれぐれもご自愛いただきたいと思います。
今回は節分の、少々ほろ苦い思い出をお話します。
今から約40年前の節分の日を、私は入院中の母の病室で迎えました。

突然の院長先生の行動に、私も母もびっくりしましたが、それは病気で沈む親子の気持ちを和らげようとする、院長先生の演出だったのかもしれません。
私たちと院長先生は古くからの知り合いで、特に私の両親は、昔、医大生で苦学をしていた頃の院長先生を生活面でサポートしていました。
院長先生からすると、私の母は恩人ということで常日頃、院長先生は私の母を「おばさん、おばさん」と言って慕っていました。
その「おばさん」が末期の胃癌のようである。院長先生が神妙な顔で私に告げたのは、1月のある日でした。
最近少しやせてきたものの、乳酸菌生産物質を毎日飲んでいる元気そうな母。その姿を日頃から見ている私としては「そんなバカな」という感じでしたが、院長先生は「大学病院の先生にも診断してもらったが間違いない……」と言うのでした。
「おばさんは随分苦労したのだから、ここらで楽になれということかもしれない。君も、腹を決めるときが来たようだ。私も出来ることなら、どんなことでもおばさんにはしてあげたい」

飲めないお酒をぶら下げながら(私は下戸なのです)、なんだか腑に落ちないまま、その日は帰宅しました。
院長先生のアドバイス通り、本人には胃癌とは告知せず入院させることになりました。今は体が衰弱しているので手術は出来ないから体力が回復したら開腹しよう、ということで、私も毎日欠かさず会社の帰りに病院に立ち寄り、たくさん乳酸菌生産物質を飲ませて、母の体力の回復を待ちました。
院長先生が豆まきをしてから数日後、手術の日が決まり、私もやっと腹を決めるしかないと思いました。末期のがんなので、手術をしても助かる可能性は低い、との診断だったのです。
ところが、手術の前日になり、院長先生と一緒に手術する予定の大学病院の先生に急用が出来て、母の手術日を変更することになりました。
時間が出来たので、手術前に再度精密検査をしてみようか……ということになり、調べてみると、「がんが少し小さくなっている」というではありませんか。
そのような訳で、手術は先に伸ばし、経過観察してみることになりました。その後、1ヶ月位した頃に院長先生の紹介で国立がんセンターへ赴き、ファイバースコープによる検査で「病変部位は胃潰瘍の跡であろう」という最終診断をもらいました。

今年も、節分の行事である「豆まき」をテレビニュースで見て食卓で「恵方巻き」を頬張る私の脳裏に、院長先生の「鬼は外、福は内!」の声がよみがえってきました。
つくづく、あらためて、健康のありがたさを痛感する私なのでした。
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