正垣一義

医師。
日本で最初にヨーグルトを製造した人物:正垣角太郎氏の長男。
(1901~1985)
弊社『光英科学研究所』の社名は、正垣一義氏によって命名されたものです。






正垣一義氏は、父の研究を精力的に支えて乳酸菌の研究に生涯を投じ、乳酸菌生産物質を発見した第一人者といえます。かつて「腸の中の細菌とヒトの寿命に関する講演」を2度に渡って国会で行い、当時の厚生大臣から賞も受けています。


また、正垣一義氏は、浄土真宗本願寺第22代法主であり、計3度にわたるシルクロード探検の偉業も成し遂げ、実業家としてもその名が知られた大谷光瑞(こうずい)師から、「生きた菌ではなく、これからはその代謝物だ」という教えを受け、乳酸菌生産物質の開発に力を注いだ経緯を持つ人物です。


近代における乳酸菌生産物質の研究は、戦中戦後の大変な苦労の中、正垣一義氏によって続けられ、光岡知足先生をトップとする現代研究者によって引き継がれ現在に至っているのです。


なお弊社は、1969年光英科学研究所として、正垣一義氏より研究機関として設立の命を受け、乳酸菌とビフィズス菌、その代謝物質に関する研究・培養技術を踏襲し、現在に至るまで研究開発を続けています。


【略歴】
大正10年:京都研究生学館入学、同15年修了。
昭和3年:研究生学館微生物研究部員に。
昭和11年:8種類共棲培養「ソキンL」開発。
昭和12年:長期保存でき携帯可能な「潤生ソキン」を開発。
昭和20年:16種類共棲培養法を確立。
昭和24年:国会で乳酸菌の応用の重要性について講演。
昭和25年:国会で「寿命論と有効菌」と題し講演。
昭和45年:16種類乳酸菌の共棲培養物から代謝物の抽出に成功。

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