光英科学研究所 村田公英会長ブログ【私考欄】

2021.02.10

自分史

第122回 光英科学研究所 村田公英会長ブログ「私考欄」

代表あいさつのページでもご案内しました通り、私は令和3年2月8日付けにて、株式会社光英科学研究所 代表取締役社長を退任して、代表取締役会長に就任致しました。 会社経営実務については、長女であります小野寺洋子が代表取締役社長として遂行してまいりますので、何卒よろし...

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2021.01.28

自分史

第121回 「乳酸菌生産物質」に賭けた人生②発刊

このたび社長ブログ「私考欄」の第64回(2017年6月21日)から第120回(2020年12月14日)まで、ホームページに連載した57回分の記事をまとめた”「乳酸菌生産物質」に賭けた人生②”を出版する運びとなりました。 これは2017年8...

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2020.12.15

自分史

第120回 乳酸菌生産物質のルーツと共棲培養

私の社長ブログも今回で120回を迎えることが出来ました。 同時に、今月19日の誕生日にて80歳になります。 そこで傘寿の節目として、これまで賭けて来た乳酸菌生産物質の研究とそのルーツについて振り返ってみたいと思います。

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2013.11.25

自分史

第19回 大谷光瑞師の墓碑

前回の私考欄にて純正醍醐論なる論説を書きましたが、「醍醐」再現の発案者である大谷光瑞師の墓碑を、乳酸菌生産物質の礎を作っていただいた御恩、そして株式会社光英科学研究所の開祖としてお奉りしておりますことを、ご紹介させていただきます。前置きとして私事になりますが、義兄の話...

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2013.06.12

自分史

第14回 新たな出発

今まで13回に渡り、私の身の上話と、乳酸菌生産物質の生みの親である大谷光瑞農芸化学研究所の正垣所長の研究について、お話をしてまいりました。 続きを読む

2013.05.02

自分史

第13回 光英科学研究所の創立

前回の話の続きになりますが、当時、残念ながら財政的に研究所をそのまま続行することができなくなってしまいました。正垣所長の元で働いていた私も金廣も、仕事の転換を余儀なくされました。 ...

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2013.04.19

自分史

第12回 正垣所長の片腕

企業は好調な時ばかりではありません。正垣所長の事業計画が広大なものであったため、財務的にも大きなスケールのやりくりが必要となりました。 当時、多くのお得意様が製品の良さと将来性を見...

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2013.03.21

自分史

第11回 正垣所長の広大な目標

さて、乳酸菌生産物質の歴史について、話を戻しましょう。 直筆の表札

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2013.03.06

自分史

第10回 運転手の私

また私の若き日、研究員時代の話に戻りたいと思います。今回は乳酸菌と関連が有るような無いような「車」のお話です。 プリンスス...</p>
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2013.02.14

自分史

第9回 光英科学科学研究所のルーツと大谷光瑞農芸化学研究所

今これまで私の若き日の研究所生活についてお話をしてきましたが、その研究所である「大谷光瑞農芸化学研究所」の歴史について、今回はお話ししたいと思います。 続きを読む

2013.01.25

自分史

第8回 尺八と乳酸菌と物心一如

今回の表題は、「尺八と乳酸菌と物心一如」とさせていただきました。一見、何のことだか、まるで禅問答のような表題でございますが、今回のブログを終わりまでお読みいただければご理解いただけるかと思います。

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2013.01.11

自分史

第7回 所長の教育方針

研究所に入所して間もない頃から、私は所長の匠の技というものに何度も遭遇することになりました。その一つが、出来上がった製品の「検査」です。 現在の製造会社では、製造物の最終試験を化学...

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2012.12.27

自分史

第6回 研究所での生活

将来に希望を持ち東京へ出てきた私を待っていたのは、研究所での厳し...

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2012.12.13

自分史

第5回 父親からの送る言葉

上京するために家を後にしようとした私に、まるで追いかけるように、父は言葉を絞り出しました。 「いいか、人には天命がある。」 天命という言葉にハッとして振り返った私に、父は続けました...

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2012.11.29

自分史

第4回 大秀才と進路

後に乳酸菌の世界へと進むことになるとは夢にも思わず、幼い日の私は、ひたすら電気への好奇心を募らせていました。それは、友人の進路にさえ影響を及ぼしてしまうほどだったようです。 <...

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