2025.03.25
私的腸内細菌論
第173回 乳酸菌生産物質の製造の特徴② 乳酸菌生産物質に欠かせない「豆乳」
真冬の寒さを感じたかと思えば翌日は気温急上昇で夏日になるなど、春を通り越した陽気ですが、道を歩けば桜だけは時節を感じてほころび始め、我々の目を楽しませてくれています。
皆様のお宅の近くの桜も、そろそろ満開になりますでしょうか。
さて、前回は乳酸菌生産物質を製造する際に使用する16種35株の乳酸菌・ビフィズス菌で編成したスターター、名付けて「チームKOEI」のお話をしました。
今回は「チームKOEI」の培地でもあり、そして乳酸菌生産物質の製造にも使用している「豆乳」についてお話をいたします。
豆乳の起源は中国で、長い歴史を経て中国の伝統的な飲み物となり、朝ごはんのメニューとして国内で広く飲まれています。
そして日本でも近年、体にいい一般的な飲み物として幅広い世代で好まれているようです。
ちなみに、私が毎月通っている散髪屋のオヤジさん(80歳代)も「最近、健康のために豆乳を飲むようになりましたよ」と話しておられました。
乳酸菌生産物質の愛用者の皆様に、製造に豆乳を使用している旨をご説明すると「なるほど、健康によい素材だから豆乳を使っているのですね!」とご理解いただく方が多いのですが、もちろんそれも正解ではございますが、実は乳酸菌生産物質に豆乳を使用している背景には、長年の研究におけるストーリーがあるのです。

乳酸菌生産物質の生みの親である正垣一義氏は、当時中国にあった大谷光瑞農芸化学研究所にて、第二次世界大戦の最中にも研究を行っていました。
戦時下で物資が少なくなる中、研究所にて16種の乳酸菌の共棲培養による代謝産物の研究を続けながら、その培地に牛乳を使いたくても叶わず、身近にある豆乳を使用することになったようです。
日本敗戦の一年前に、正垣氏は病気入院中の大谷光瑞師へ研究の完成の報告に行くために、研究所で顔を日焼けして現地の人らしく見えるように変装して、病院へ向かったと聞いております。
その際に正垣氏は大谷光瑞師から、研究の結果を日本にて商品化して全国に普及するよう特命を受けており、指示書も現存しております。
そして乳酸菌生産物質が完成した4年後、東京で商品化されましたが、それももちろん豆乳を使って製造した乳酸菌生産物質でした。
私が大谷光瑞農芸化学研究所に入社したのは64年前ですが、乳酸菌生産物質の製造工場に案内されたときに、目前にある豆乳の製造装置を見て、乳酸菌生産物質製造に豆乳が使われていることを初めて知りました。
そしてさっそく私は豆乳作りに従事することになったのですが、豆乳をつくるときにできる残渣(おから)の一部を工場前のゴミ箱に捨てたところ、所長だった正垣氏から「馬鹿者!遠くの廃棄場所に捨てにいきなさい!」と大変な叱責を受けました。
豆乳を使って製造していることは、重大な企業秘密だったのです。
(もちろん現在では食品表示のルールに則り、製造にどのような材料を使っているか全て表示が必要で、光英科学研究所も豆乳を使用していることは皆様にお知らせしている通りです)
豆乳を使用していることは企業秘密…その他にも、当時の正垣氏の研究にかける熱意を物語るエピソードは多々ございますが、またいずれこの私考欄でお話ができればと思います。
その正垣氏が「生菌」から菌の代謝物に研究を大転換して16種の乳酸菌の代謝物の製法を完成することができたのも、培地に「豆乳」を使ったことに大きなポイントがあったのでは、と私は考察しております。
次回も豆乳についてお話をします。
どうぞお楽しみに。
近年は健康食品市場だけでなく、一般的にも「健康には乳酸菌」という概念が定着しつつあります。
しかし、人の健康に役立つのは乳酸菌そのものだけではなく、その代謝物である「乳酸菌生産物質」がより重要です。
この本には、16種35株のビフィズス菌を含む乳酸菌の共棲培養技術のノウハウや、「乳酸菌生産物質」の商品化の知識など、私の視点から見た「乳酸菌生産物質」に関する情報が余すところなく盛り込まれております。
ぜひ第1巻に続き、第2巻もお手元で開いていただければ幸いです。
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