2014.10.25

自分史

第2回 スティルヤングと母

私が8歳になった1948年(昭和23年)のある日、母が茶瓶の中に醤油のような液体が入ったものを見せてくれました。これは、スティルヤングという名称で、飲むと体に大変良いものだと説明してくれました。水に希釈して飲んでみると甘くて少し酸味があり、当時にしては美味しい食感を得ました。
スティルヤング

これが、私と乳酸菌生産物質の初めての出会いでした。


当時の日本は、マッカーサーの統治下にありました。父は山口県で政治家でありながらもレッドパージ(公職追放)で活動が公にできない状況、しかし陰では、岸信介さん、佐藤栄作さん達と政治活動に明け暮れておりました(現・自民党総裁の父である安倍晋太郎さんからは、「村田のおじさん」と親しみを込めて呼ばれていたようです)。
そのころ父の元に出入りしていた人達から、母は「おかみさん」と呼ばれ、周囲からは父以上の信頼を得ていたようで、山口県・他近隣に強力な人脈を有しておりました。その人脈を活用して、母はスティルヤングの拡販に精力的に取組みました。政治に明け暮れる父のもと、生活を陰で支えているのは母であることは、子供の私にも容易に理解できました。
この頃、正垣一義先生(乳酸菌生産物質の生みの親)は全国的に講演活動を行っており、山口県にも東京から毎月のようにいらっしゃったようです。
国会にて二度に渡り講演(「佛教原理の應用範囲」「寿命論と有効細菌について」)をされたのも、この頃でした。
国会講演
時は終戦直後ですから、日本復興の為には、丈夫で賢い子供を世に送り出す事が急務でありました。そこで助産婦会(当時は家での出産が普通でした)をターゲットにスティルヤングの販売が開始されました。しかし子供の私は、それが乳酸菌の分泌物とだけ聞かされていたものの、詳細な内容については理解できておりませんでした。
なにしろ子供時代の私は暴れん坊で、川の淵幅20cm位のコンクリートの上を自転車で走って誤って川に落ち、手や足を擦りむき血だらけになり家に帰った事もありました。大層母に叱られ、スティルヤングを全身に塗られ、その痛さに家中を走り回ったのを覚えております。その話を知る義兄には、今はどうしてそんなに大人しくなったのか?不思議でたまらないと言われます。
私の父は明治の男で、気にさわる事があると、誰彼なしに叱りとばしていましたので、「こういう人間には決してなるまい」と子供心に誓ったものですが、そうは言っても父のDNAは私の体の中に受け継がれているのでしょうか、通っていた学校で番長と喧嘩になりました折、2階の教室の窓から放り落とした事があり、幸い大怪我にはなりませんでしたが、担任からは棍棒で叩かれた経験があります。
bb1024_02.gifこのような活発な子供時代を過ごしておりましので、あまり風邪を引く事も無かったのですが、流行性感昌は時々やってきました。抗生物質が世の中に出現したのは、この時代です。なにしろ高熱を出しても、親戚の薬局から手に入れたペニシリンまたはオーレオマイシンを飲ませてもらうと見事に熱が下がって治るので不思議でした。
聞くところによると抗生物質はカビの菌から作ったものだという事、そうすると乳酸菌から作った母の扱っている“スティルヤング”もすごいものではないか、と実感したものです。
今にして思えば、私が乳酸菌生産物質と運命を共にする幕が上がったのも、この時だったのです。
母と私

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